京都伏見区深草にある大岩神社(おおいわじんじゃ)、神社の前の大岩街道をよく通っていたのですが、明智光秀のブログを書くまでは全く知りませんでした。明智光秀が勝竜寺から脱出し桃山(大岩山付近)から小栗栖で自害するまでに大岩神社の前の沼に武具を沈めたという伝説が残っています。
今回は廃神社になった大岩神社と明智光秀が武具を沈めた沼を訪れました。
異空間にある神社
京阪藤森駅から大岩街道に出て京都医療センターを超えて徒歩20分ぐらいある幼稚園の横に大岩神社示す鳥居と石碑と立て札があります。立て札には大岩神社について詳しく書かれていました。徳川家康が上洛の際に乗馬の飼草を賄ったことから通称御草山と呼ばれる大岩山にあり、山頂付近には大岩・小岩の男神と女神とする古代の神祀りのなごりの神社で昭和の初めまでかなりの賑わいがあったと書かれていました。早速進んでいくとそこには異空間の世界が広がりました。
中を進んでいくと竹林が広がり静寂の中を歩いているという感じでした。途中に小さな滝や京都一周のトレイルコースの看板がありました。
滝を過ぎると少し上りが続き、道に川の水が流れこみ泥状態なっているところに丸太で渡してあるところを超えると沼が見えました。
これが明智光秀が近江坂本城に敗走する途中、武具を沈めたと言われ沼です。
沼の傍らには白姫龍神大神の石碑もあり、龍神さま祀れているようなのですが、どことなく雰囲気あり本当にいるのではないかと思う沼でした。
沼からほどなく歩くとその場に似つかわしくない彫刻が彫られた鳥居が現れました。この鳥居は日本画家の堂本印象がデザインし寄進したものです。奥の荒れ果てた社と柱しかない鳥居とは対照的でそこをくぐると異空間に行くような圧倒的な存在感がありました。鳥居の柱には地蔵菩薩と毘沙門天らしき像が、上には大岩大神と小岩大神と彫られていました。
その鳥居をくぐり社に参拝しました。ちょうどカメラを持った女性が1人でおられ、声をかけていただきました。話を聞くとここは本殿ではなく左にある階段を登った先にあるらしく、結構な山道だと終えてもらいました。
早速階段を登り本殿へと向かうことにしました。行く道中に鳥居は柱のみのものや神社は全く手入れされておらず、廃神社の異空間にきたという感じがしました。
登ること15分ほどしたら、本殿が見えてきました。今まで違い本殿は手入れされいるようでした。そこで参拝しました。本殿横にはいつ倒壊してもおかしくないような社務所があり、立ち入り禁止のロープが張られ無人でした。
本殿の裏側に堂本印象のデザインの鳥居がありした。下で見た時よりも小さなものそのまま参道が続いて灯篭などもありこちらは手入れされているようでした。
参道の先には3台くらい止められる駐車場がありました。後調べたのですが、今は神主さんがおられず有志で神社の手入れをされているそうです。
あと本殿を登る途中の別れ道に大岩展望所の看板があったので、展望所も見に行きました。
京都南部が一望でき、京セラ本社や日本電産の本社がきれいに見ました。また京都一周トレイルコースというものがあると知り、時期が来たら一度歩いてみたいと思いました。
大岩神社は男女2人の神様がおられて、それぞれが重い病になったときに互いに献身的な看病し、その病を治したことから「難病の神」として多くの不治の病や心の病の方が祈願に訪れていたそうです。家のすぐ近くに神秘的で異空間漂う沼と神社があったとは知りませんでした。京都はまだまだ奥深い町だとも思いました。
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